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リアルな表現

イラストや映像の写実的な表現ってのは、簡単に言えば「確実な説明」なんですよ。
「おいしそうなリンゴ」を表現する場合、赤ベタの円形で済むかもしれないところを、確実にわかってもらうために立体的描写や点々や水滴なんかまで描き込む。写真だと個々のリンゴにばらつきがあるので、いい部分の印象をまとめて一個のリンゴのイラストとしてまとめる。確実な説明だからこそ、機械の構造イラストや商品イラスト(もちろん図鑑も)として使われる。

ハイパーリアル、スーパーリアルが昔流行したのは、普通は描かないような(描く必要のない)対象や超微細レベルの描写が、「絵とは何か」も含めた問題提起として有効だったから。「ええ〜っ、こんなの手で描いたの〜っ。バッカだなあ。ギャハハハハ〜!」というお笑いや見せ物に近い感覚が基にあったはずなのだ。それがエアブラシという無機質な質感(手の跡が残らない)のツールと合わせてスタイルとして目新しく、流行ったのである。

簡潔な表現は、若いイラスト志望者の一部には手抜きに見えるらしいが、これも僕にも覚えがある。もっときちんと描けよ、陰影のつきかたが変だ、とか。これは表現技術発展途上者にとっては自然な感情だと思う。しかし、その一時的な目の曇りが晴れれば、わかってくるものだと思う。表現の頂点は写実じゃない。写実はある意味スタート地点でしかないのだ。
少なくとも共通理解が得られる環境に限れば、どう考えても「誰にでも描ける写実的表現」より「エッセンス抽出の簡潔な表現」のほうが高度な表現と言えるのだ。「ヘタウマ」は世界に例のない最高級の表現である。そして、高度な表現を当たり前に受け入れる日本文化を誇りに思うのだ。

これは凄く思うなあ。表現って難しい。