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雑誌「薔薇族」が廃刊

最後にこの詩を。
http://www.barazoku.co.jp/
寺山修司 「 世界はおとうとのために」

書かなくとも
それはたしかに存在している

たとえば 少年航空兵の片目をかくした
眼帯のうらがわに

たとえば
刑務所で知り合ったSの腕の
薔薇色の傷口に

たとえば
マドリードから来た船乗りFの
蝶の刺青のまわりに

たとえば
自動車修理工のMの
灼けた背中のシャツの白地に

たとえば
寿司屋の板前の
指の血のにじんだ包帯の上に

たとえば
警察学校の寄宿舎の便所に
落書きされたむらさきいろの男根の横に

たとえば
泳ぎつかれて眠るプールサイドの
運転手の息づくブリーフに

たとえば
花粉の匂いにまみれた中学生の
自慰のてのひらの上に

「にんげんは約束をする
唯一の生物である」
と、詩人は書いた

おとうとよ
ぼくはそのことばを反芻していると
だんだんわかってくるのだ

書かなくとも
それはたしかに存在しているのだ、と
いうことが