雑誌「薔薇族」が廃刊
最後にこの詩を。
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寺山修司 「 世界はおとうとのために」
書かなくとも
それはたしかに存在しているたとえば 少年航空兵の片目をかくした
眼帯のうらがわにたとえば
刑務所で知り合ったSの腕の
薔薇色の傷口にたとえば
マドリードから来た船乗りFの
蝶の刺青のまわりにたとえば
自動車修理工のMの
灼けた背中のシャツの白地にたとえば
寿司屋の板前の
指の血のにじんだ包帯の上にたとえば
警察学校の寄宿舎の便所に
落書きされたむらさきいろの男根の横にたとえば
泳ぎつかれて眠るプールサイドの
運転手の息づくブリーフにたとえば
花粉の匂いにまみれた中学生の
自慰のてのひらの上に「にんげんは約束をする
唯一の生物である」
と、詩人は書いたおとうとよ
ぼくはそのことばを反芻していると
だんだんわかってくるのだ書かなくとも
それはたしかに存在しているのだ、と
いうことが