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ジャーナリズム

http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_04bd.html

結局のところ、日本における競馬ジャーナリズムというのは、――ごくごく一部を除いて――馬券予想のためだけに存在するのであって、ディープに本当は何があったのか?ということよりも、ジャパンカップで勝ち負けになるかどうか?の方が記者たちは関心を持っている。

この一文はガツンとくるなあ。

人間が誰ひとりとして傷つかないで済む「馬房汚染」というオチには、私も苦笑いせざるを得なかった。繰り返すが、それはあくまで推測に基づく”ストーリー”でしかない。日仏のオフィシャルの調査結果は「不明」となったままだ。

調査報告は可能性を示しただけで、それが事実かどうかは不明だ。この辺のモヤモヤをJRA批判に結びつける人がいるけどそうじゃない。なぜなら、JRAを批判したところでどうしようもないからだ。自分たちが調査したんだもの。フランスギャロとの合意で出した結論だろうし、再調査したところで結果が変わるかなんてわからない。JRAが悪であるなら、なおさらそうだ。そういうのを超えたところにジャーナリズムってもんがある。時に常識の枷から外れるときもあるから批判もあるだろうけど、本来ルールを越えたところで有意にはたらける性質があるからだろう。
マスコミ系のニュース見てないから、凱旋門賞の件で私個人が競馬ジャーナリズムを批判することはできないけれど、たまにそういった批判は見かけるなあ。言われているような馬券予想主義的な部分はあるのかもしれない。結果として「不明」だったのなら、主催者側とは別に独自で調査すべきと思う。主催者側の発表以外で調べるようなことはしてるんだろうか。