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文化

http://blog.livedoor.jp/racecourse_ave/archives/50743259.html

もはや為す術はないのか。
なにかアイデアはないものか。

って思うのは文化といいつつ市場経済ベースで考えているからだろうか。
ばんえい競馬を遺していくことって、それを必要だという人が大勢いれば簡単なことだと思いますよ。今までの公営と比べて、開催までのプロセスが面倒になりそうとかはある。当然、馬券発売はできないけど、多分ばんえい競馬が文化であるってことに馬券は含まれないので問題ないでしょう。
問題としては維持が大変そうなことか。1日の開催自体ならボランティアだけでも市民の巻き込みようによっては可能かもしれないけど、ファンが1年中馬のこと考えられるかちょっと分からない。大変なのは馬に関わる人たちだよね。一ファンがどうこう言える立場じゃないですんで何も言わない。
それに、クオリティが著しく下がることは確実でしょう。スポーツのプロとアマみたいなのとは比較になんないぐらい。基本的に人間のやるスポーツと違って、個人でやれるレベルじゃない。コストかかりすぎ。多分、その辺が競馬が文化としてやっていけるかの大きな課題となるのかもしれない。
たとえば法が改正されて、指定した管理業者に馬券販売まで任せられるようになったとしても、たぶんあんまり意味がないんじゃないかなあ。もちろん、コスト削減とかの効果はあるだろうけど、結局同じことやってんだから。むしろ、公的な補助があったから今まで持ってきたようなもんなので、完全な市場主義を持ち込んだらやってる側も疲弊しちゃうし完璧駄目になっちゃうんじゃないの。
で、特定公益増進法人みたいなのを設置してやっていくのって可能なんだろうか。ばんえい競馬振興基金ってのがあって。って考えると、NARが主体としてそういうファンドを持つのが一番よいように思える。
と、色々考えたけど、実際市民レベルでやれることって、ばんえい競馬が社会的に必要であると訴えることにあるし、それが遺していく中で最も重要なことなんだと思う。必要であるってことは文化だからってことじゃない。ばんえい競馬が社会に対して補える効果、またその使命というところをきっちりと捉えなければならない。