f8g

根本的な考え方の違いがあるなあと

http://iko-tihoukeiba.com/index.php?e=1033

ひとつ主張したいのは、現在のプロの「ばんえい競馬」という形態が、競馬文化ではない、という論理の飛躍をするのは間違っているという事です。

古くからあった、馬を用いて競い合う文化が、資本主義社会、現代社会の中で、今日的な文化として続いていくためにとっている形態が、公営ギャンブルという形であり、つまり、プロの競馬は、競馬文化の今日的形態といえるのだと思います。

結局は、文化であると言える演劇や芸能の世界だって、経営は商売を成り立たせなければいけないのと同じことかなぁと思います。

そうした世間に認識がある中で、「ばんえい競馬文化」を残していくためには、税金の保護に頼らないでいい経営状況と経営形態をとらなければならないのです。

基本的に述べられているのは営利目的でも頑張らんと駄目だよ、ってことかな。それってばんえい競馬にとって酷なんじゃないの? JRAですら売上下がってどうしようってんだから、超ローカルなばんえい競馬が経営難で破綻するのは当たり前のようにも思うのだけど。当事者たちが苦しそうな顔してるのの一因にこういったプレッシャーはあるんじゃないの。現状を打開できないのにやれやれ言うもんだから精神的にも疲弊してしまう。
で、演劇や芸能の世界のくだりだけど、別にみんなが売上だけでやってってるわけじゃなく、非営利でやってる活動だって数多い。彼らは間にNPO自治体なんかが入ってて、いかに活動資金や機会を得るかが問題になる。下北サンデーズだって実質みんなバイトでお金貰ってんじゃん。芸術文化に携わる人たちみんなが、自分たちの作品を売って生活しているとは限らないんだ。
そもそも、社会的に必要とされているものにみんなが金を払うかというと、必ずしもそうじゃない。どっかの山奥にある古い家屋に対して、それが文化的な財産だとしても、それを見るために金を払うとは思えない。国宝級ならあり得るけど、たとえば市の文化財クラスに好んで金を払う人なんてそういないんじゃないか。そういうものに本当に親近感を持つ人って一部のマニアと、近所に住む市民の人たちでしょう。そういった限られた対象者のなかで、本当に売上だけで経営していくことなんてできるの?
たぶん、競馬もそれに似た環境になりつつある。競馬場の近くに住む市民と、競馬ファンぐらいが本当に親しみを持っている。けど、彼らが支払う対価だけでは運営ができなくなってしまった。彼らにとって本当に競馬が必要だというのなら、ちょっとぐらいは非営利で競馬を続けようという団体が現れてもいいんじゃない?