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ばんえい、ロマン、ノスタルジー

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ここのblogの人がコメントとかで書いてるような寺山的な楽しみ方、まあいわゆるロマンと言える部分だけど、これは確かに競馬ファンにとっては最も重要だろうと思う。でもこれってばんえい競馬に必要なのか? 中央だけでも維持されればいいんじゃないの? そう思うかもしれない。けど、ローカルにはローカルのロマンを強く感じるところがあるのだ。(じゃなかったら映画になんかならないよ) それが消えてゆくというのは非常に寂しいことだ。
人が一番泣きそうになるとき、個人的な感覚でいえば、それはノスタルジーだろう。過ぎ去った日々を思い出すことで人は勝手に涙を流す。それは歳を重ねれば重ねるごとに、痛く心に突き刺さる。ああ、なぜあのとき過ごした時間は戻ってこないのだろう! そう、僕らは失くした時間や空間や空気がとっても大好きなのだ。
一時期、昭和ノスタルジーなんかが流行ってクレヨンしんちゃんの映画がとっても有名になったけど、あれが評価されたのは素晴らしい昭和の描写と、未来への視点があったからだ。これら対極にある二点は、そのどちらもが現代の僕らにとってのニーズであったのだ。
失われてこそ価値があるものもある。補いたくてしかたがなくなるから。一方で今を生きなきゃならない現実もある。
競馬にも美しい過去があった。楽しかった時代があった。その頃を取り戻したい気持ちの裏側に、本当は二度と帰ってこないんじゃないかという恐怖や焦りがある。だから必死に探すんだ、真っ暗な闇の中を。でも、今探してる方向は本当に正しいの? 光だと思っているものが、実は過去の残像なのかもしれない。本当の光はどこにあるのだろう。